・接着歯学に問う

 接着歯学に未来はあるか。中林は東京医科歯科大学に奉職した時から、接着歯学の意味を十分知らずに、エナメル質、象牙棒、象牙質、骨などの硬組織、金属、ポーセレン、ポリマーなどの歯科材料への接着の研究を、新しいメタクリル酸のエステルの合成と機能評価(接着試験、破断面、接着メカニズムの解析)を通して行ってきた。歯には何とか接着できても、代謝する生体組織にポリマーをつなぎ合わせることは現代科学では不可能であり、これの解決策を提供することが強く求められている。

接着歯学はエナメル質への接着法を見出したBuonocoreにより1955年に切り開かれた。中林が残念に思うのは、組織学を除いて歯の組織の研究が行われていないことである。歯の治療が歯科医学の目的であるが、「生きた歯」と「死んだ歯」(失活歯)さえ区別していない。また、歯の組織に血流がなく創傷治癒機構(自然治癒)が備わっておらず、治癒を期待できないにもかかわらず、「治療」と言う用語が使われているし、歯の切削が日常的に行われている。生きた歯でも治癒は望めないのである。「接着の研究」には被着体と接着剤両者の研究が必須である。歯科で接着が求められたのは、修復物の脱落を回避するためであった。むし歯は治らないのであるから、中林はむし歯の治療はできないとしたい。しかし、歯冠部と異なり抜歯窩には血流があるので治癒する。失活歯(死んだ歯)に治療が存在するか疑問がある。死体損壊罪という法律がある。移植医療では脳死が真剣に議論されている。失活歯は死んだ組織として取り扱う方が、「医療行為」の定義を受け入れやすい。「う蝕は治せない」を徹底すると、う蝕予防の必要性を市民がより真剣に考えると思うし、患者へのインフォームドコンセントを歯科医師も真剣に取り組まざるをえないと考える。

エナメル質の接着は信頼できるが、例えば矯正治療後の歯がカリエスに冒されている若者の白い歯を見るにつけ、担当矯正歯科医と患者に歯を大切にする知識が十分か残念に思う。樹脂含浸エナメル質を作れる矯正用の接着剤を選択して欲しいというのが、DBS開発に協力した中林の願いである。歯の大切な構成成分、ハイドロキシアパタイトは乳酸に触れると中和され、溶け出していく性質を持っている。

修復物が脱落するか否かで接着の議論がされているだけで、そこでは接着力の大きさだけを追い求め、接着耐久性の問題と脱灰象牙質の存在を指摘した研究は一部にあるだけである。患者も「先生修復物が外れました」で、何故外れたか当事者であるにもかかわらず追及しようとしない。患者は歯科医療による健康被害を受けているのではないかとひやひやして聞き流している。接着の議論の前に修復物の脱落の原因を正しい科学の論理で歯のプロは説明して欲しい。象牙質が口腔内で不安定であるから修復物が脱落するのである。修復物の脱落防止を象牙質への接着機構で説明して欲しいと求められ、歯科医師の尊厳を傷つけずに説明できなくて困ることがしばしばである。脱灰象牙質が修復物と象牙質の間に介在していると説明しても、中林(素人)が勝手な説明をしていると歯科医師には一笑に付されている。マイクロリーケージ、二次カリエスという用語は、1955年以前から歯科では重要な問題点とされてきたが、解決策がないまま、ナノリーケージと象牙質接着に歯科関係者の興味(研究の対象)は移ってしまった。リン酸亜鉛セメントの時代に修復物が脱落した後の窩洞や支台歯の寸法(印象や模型を基にした)を観察した人はいなかった。接着歯学会の講演会でも聞いたことはない。

エナメル質支台歯や窩洞への修復が長生きできたのは、修復歯に脱灰象牙質が介在していないだけである。アアマルガム充填を除いて象牙質への修復では脱灰象牙質が介在する。酸塩基反応で硬化するセメント類は全て同じである。即硬性アクリルレジン充填が失敗であったのは、モノマーの毒性が原因ではなく、歯髄への感染であった。この時代には、人工エナメル質のように歯髄への細菌侵入を阻止する方法はなかった。現代流に言い換えるとマイクロリーケージ試験は脱灰象牙質を染料で可視化する方法であった。象牙質にリン酸セメントの液を触れさせ、水洗後カリエスディテクターで染めてみて欲しい。脱灰象牙質が染まるということは、支台歯に正確に作ったクラウン(含むブリッジの装着装置)をセメント類でセットした直後から脱灰象牙質が介在し、ここを辺縁漏洩した乳酸が拡散し支台歯象牙質を更に脱灰し続け、脱灰象牙質は加水分解され、修復物は支台歯の上に留まれないのである。維持力や接着力が低いためではなく、象牙質が口腔内で消失していくのである。形成された象牙質の表層部に乳酸を通さない人工エナメル質(樹脂含浸象牙質)を作り象牙質を保護した後、その表面に修復物を接着して欲しい(欠損部のリハビリテーション)のである。人工エナメル質では、エナメル質の耐摩耗性や機械的強度を代替できない。これは人工エナメル質の外側に接着する修復物に頼りたい。長持ちするエナメル支台歯や窩洞への修復と同じように、脱灰象牙質が介在しない修復処置は可能になっている。「接着性レジンの品質」を正しく評価する必要がある。接着性レジンを使えば樹脂含浸象牙質を作れると考えては困る。エナメル質に欠損を生じ、乳酸や細菌などの侵入阻止ができない「歯のイノチを守る」ために有効な人工臓器が人工エナメル質であると位置づけては如何か。エナメル質を乳酸と接触させず、脱灰を防ぐバリアーとしての機能にも当然活用できる。

エナメル質へのリン酸亜鉛セメントによる臨床成績がうまく推移するのに、何故象牙質が露出した場合には哀れであったか、この重大な違いを理解せずに象牙質接着を議論してよいか。それよりも、象牙質への修復に信頼を持てなかった時点で、その原因を科学的に追求すべきであった。修復物の寸法精度や強度をいくら改良しても解決策に結びつかなかった過去の事実(エビデンス)を歯科関係者は猛省する必要がある。象牙質は中性では安定であるが、乳酸が作られる口腔内では不安定(乳酸で脱灰され加水分解される)である。これは歯科医学全体の科学レベルに関連している可能性すら感ずる。S.ミュータンスなどは口腔内には生息(感染)していても、象牙質と歯髄は外界からエナメル質によって隔離されている。このようにエナメル質の内側の環境を正常に維持するのが人工エナメル質の機能である。人々の健康を維持するのが責務である歯科医療関係者の責任は重大である。今アスベストによる中皮腫患者の発生が問題になり、政府は対策に苦慮している。う蝕罹患患者の数から見ると、う蝕の治療を確実にできるか否かは、う蝕罹患歯の治療を行う歯科医師にライセンスを与えている国の責任は重大である。中皮腫で亡くなられるアスベストを取り扱った工場周辺の人が増えている。C型肝炎に罹患している患者に対する過去の医療の責任は重大である。科学の進歩は人類を幸福にする上に貢献して欲しいと願っている。エナメル質に穴が開くと、歯を失うことにつながることを社会は理解したい。