・象牙質構成分子について考える

歯科では、エナメル質支台歯への修復は安定しているが、象牙質へのそれは不安定であると考えられてきた。しかし、エナメル質と象牙質の構造の差は理解してきたが、歯質構成分子の化学的性質と歯の構造の関係を議論してきたか疑問である。特に象牙質の構造と構成分子の関係を十分解析してきたとは考えられない。口腔内でおこる脱灰とは何を意味するか。これは、塩基性のハイドロキシアパタイトというリン酸カルシウムの結晶と、口腔内に生息するS.ミュータンスなどが産生する乳酸の化学(中和)反応の結果おこる現象である。酸がHAを溶かすことは一応理解されているようであるが、真実をどれだけ理解されてきたか疑問である。修復物の脱落防止には接着が必要であると考えられ、中林もその方向で接着材を作り出す研究を行ってきた。中林は歯科医師の皆さんが用語を鵜呑みにして記号としてだけ捉え、その意味するところを正しく理解していないことを知りショックを受けている。過去の材料といわず、今一度リン酸亜鉛セメントを使った象牙質支台歯への修復がうまくいかなかった原因を科学で考え直して欲しい。
学術用語には科学で裏打ちされた共通の意味を持っていることを理解して欲しい。歯科の領域だけで通じる用語は科学の目で見て正しくない場合もある。う蝕を感染症と捉えている歯科の常識が正しいか、う蝕をS.ミュータンスが産生する乳酸による脱灰症とするか対応策は異なる。S.ミュータンスが生息するのは口腔内であるが、歯の組織がS.ミュータンスに感染しているとは考え難い。中林はう蝕を「歯の感染症」ではなく、S.ミュータンスが産生する「乳酸による歯の脱灰症」と理解したい。

固相の化学反応
固相の化学反応は、液相のそれとは全く異なることを理解すべきである。化学反応は反応する分子同士が衝突して起り、反応生成物は固相から離れていく。これがう蝕(脱灰)の第一歩である。即ち塩基性のリン酸カルシウムの結晶と乳酸の化学反応では、決して反応生成物である酸のカルシウム塩はHAの結晶の上には存在できないのである。これはHAと酸のカルシウム塩の結晶構造が異なることに基因している。う蝕罹患歯をX線フィルムで診断しているが、何を診断しているか。HAが酸と中和反応し解けて消失した結果、う蝕罹患部象牙質をX線が透過するように変化している状態を観察しているのである。う蝕検知液は何を観察しているか。う蝕検知液に溶かされている塩基性の染料を吸着する酸性の分子が、HAが脱灰された結果象牙質から遊離して脱灰象牙質に溶け出している事実を観察しているのである。染まる分子は病理学で染色して観察している分子と同じであり、これがGAGsと総称されている非コラーゲン性たんぱく質である。GAGsの存在は知っていても象牙質内での働きについての議論を聞いたことがない。これを理解せずにう蝕罹患象牙質の議論がまかり通っていることに中林は不満を感ずるのである。GAGsは象牙質の構造を維持していく上で必要不可欠な分子であることを認識すべきである。

修復物の脱落の原因
中林がGAGsを象牙質の高分子電解質と理解しているのは、コラーゲンも高分子化合物の一種であると同時に、非コラーゲン性たんぱく質も高分子の一種であり、酸性の基を持った水溶性の高分子化合物であることに基因している。その上に象牙質の中にGAGsは意味もなく存在しているのではなくて、口腔内で加水分解されやすいコラーゲン線維を周りから緻密な構造をした塩基性のHAと酸性のGAGsの反応生成物が取り囲み、中性の環境では象牙質の安定化に寄与しているに違いないと考えるようになった。これは、象牙質への接着を理解する努力、スーパーボンドのスミヤー層脱灰除去剤10−3(特に3価の鉄イオンはGAGsの不溶化に有効)がスーパーボンドの優れた性質を発揮する上で必要不可欠である理由が何処にあるか、弱いスミヤー層を酸で脱灰除去した脱灰象牙質が親水性である原因は何処にあるか(コラーゲンは疎水性の高いたんぱく質である)などを追求する研究の中から生まれた結論である。GAGsを脱灰象牙質の中に溶かし出すか否かが、スーパーボンドの象牙質への接着とその質の死命を制することが明らかになった。
象牙質に乳酸やリン酸が近づくとHAは脱灰されGAGsの周りの構造が乱され、象牙質が酸の攻撃を更に受けやすくなる。マイクロリーケージテストで染料が拡散できるか否か、染料が拡散できる部位(脱灰象牙質)があると、そこは乳酸の拡散経路となり、支台歯象牙質が更に乳酸により脱灰され、2次う蝕が惹起され、修復物の脱落につながったと考えてはいかがか。このように考えると乳酸の通り道を塞ぐ科学が必要になり、維持力不足を接着で増強する努力にむなしさを感ずるのである。これが、接着ではなくて酸に弱い象牙質の保護法を開発すべきであり、忘れ去られてしまったようであるマイクロリーケージテストを再評価する必要があると考えるようになった動機である。GAGsが溶け出した部分(脱灰象牙質)を、マイクロリーケージテストに利用する塩基性染料が拡散し、酸性のGAGsを塩基性の染料が染色し、脱灰象牙質の存在を可視化する方法であったと考えるのである。う蝕検知液の働きも、う蝕病巣に溶け出したGAGsを塩基性染料で染色して病巣を可視化していると考える。

GAGsと象牙質接着
ヒト象牙質への接着に手を染める以前に、中林を育ててくれた教室には湿潤象牙棒に接着できるMMA−TBBレジンが存在していた。これの存在を正しく理解して後世に伝えるか、中林は歴史の一里塚として大切にしたい。MMA−TBBレジンを接着できる基質はあくまで多孔質の象牙棒であり、決してヒト象牙質への接着ではなかった。確かに象牙棒は象の犬歯であり、象牙質と捉えて過ちではないが、ここにも科学のあることを理解したい。中林もあまり注意深く象牙棒と象牙質の差を理解はしていなかった。しかし、象牙質への接着にMMA−TBBレジンは無効である実験事実を知りショックを受けた。研究とは矛盾する研究結果が動機となって進歩すると考える。例えば、コラーゲンにグラフト重合するという科学が正しければ、コラーゲンを含む基質には同じ接着材を使えば接着が出来ると考えるのが科学である。基質が変わると接着メカニズムは同じか、どこかに違いがないか、よく研究する必要がある。ウシ,ヒト象牙質には差があると筆者は考えている。ここをきちんと理解しないと過ちを犯す危険性すら感ずる。
エビデンスを基にした考えか、科学の演繹力で説明できる範囲か、実験データで確かめないと過ちを犯す危険のある領域か、慎重に判断しないと科学者としての能力を疑われる可能性すらある。生物の進化の過程をよく観察すると、データはなくても有益な示唆に富んだ情報を提供してくれると考えている。GAGsは酸性の非コラーゲン性高分子化合物である必要がありそうである。マイクロリーケージを起こすギャップが存在すると理解するか、脱灰象牙質には酸性の高分子化合物が存在するかで、マイクロリーケージのメカニズムの理解は当然異なってくる。染料が拡散できる層には酸性の化合物がありそうであり、これが象牙質の安定した構造形成に必須である可能性が高い。中林は清村が1986年に報告した学位論文を科学の目で高く評価したい。長期水中浸漬で加水分解される分子は何か、これが脱灰象牙質である可能性を感じ、スミヤー層を脱灰により除去する接着法が、清村のデータの源である可能性を学んだ。酸による脱灰前処理を必要としない接着法の開発が必要であると感じ、セルフエッチングプライマーを開発する必要性を見出した原点であった。清村の報告が象牙質へのリン酸亜鉛セメントによる修復が不安定である原因を追求する手がかりも与えてくれた。HAの結晶の分解(脱灰)とGAGsの脱灰象牙質への溶解が同時に起こっている可能性を教えてくれた。マイクロリーケージテストとは酸性の高分子電解質(GAGs)が、HAを脱灰された象牙質中に溶け出している事実を塩基性染料で可視化することであった。化学の知識がマイクロリーケージを解き明かす上で役に立った。即ち修復象牙質の中に脱灰象牙質が介在していた事実が修復物を脱落させていたと考える。同じように酸を産生するプラークがエナメル質の表面に存在すると、これが塩基性のHAを分解しエナメル質カリエスを発生させ。これを防ぐには歯ブラシで綺麗にプラークを磨き落とす必要がある。酸性の雰囲気下では塩基性のHAの結晶は析出できず、中性のリン酸カルシウム(歯周ポケットの中で酸に溶かされ難い歯石が産生される原因)が沈着し、歯周病罹患の原因を作る。即ちプラークコントロールを確実に行う習慣をマスターするか否かが、う蝕に罹患し、歯周病に罹患することを防ぐ唯一の道である。またう蝕がエナメル質のみでなく象牙質に達すると、歯髄が疼痛を訴える原因にもなる。象牙質はエナメル質よりはるかに脱灰されやすい硬組織であることも理解して欲しい。