・安田理事長のエッセー「歯科医 つれづれ記」(読売新聞夕刊)の14・15回目が掲載されました

安田理事長が読売新聞夕刊に連載しているエッセー「歯科医つれづれ記」の14回目と15回目が掲載されました。
14回目は「保険か自費か それが問題だ」(2月29日)、15回目は「娘さん、頬杖はいかんなあ」(3月14日)です。どうぞご覧になってください。
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【歯科医 つれづれ記】
14回目
保険か自費か それが問題だ

 たまにはにぎり寿司(ずし)でも食べようかと、すし屋に行く。店の人から、「松、竹、梅とありますが、どれにしますか?」と聞かれる。人間の心理で、こういう場合多くの人は中間の値段の「竹」を選択する。松を頼むほど懐は豊かではないけれど、一番下の梅と言うには、なんとなく抵抗があるし、夢もないと思うからである。


 ところで、むし歯や入れ歯の治療で行った歯科医院で、こんなことを言われた経験はないだろうか。レントゲンや何やら検査が一通り終わった後、いきなり「ここは保険にしますか? それとも自費にしますか?」と聞かれる。口を開けたままで質問されることも多いが、なかなか返事がしにくい。そもそも歯の治療に保険と自費とがあるのも知らず、さらには保険と自費の内容の違いが、全く分からないからである。


 椅子(いす)を起こして貰(もら)い、「保険と自費とでは、どう違うのですか?」とか、「自費の方がいいんですか?」などと質問する。そりゃまあ、どちらがいいかと言われれば、お金はかかるけれど、自費の方に決まっている。少なくとも歯科医学的見地に立てばである。ところが日本の歯科治療費、保険は世界でもまれに見る安さだが、自費はほぼ世界一の高さである。


 つまり、ものすごく安い保険治療と、ものすごく高い自費治療のどちらにするかと問われているのである。いい物を入れては欲しいのはやまやまだが、これでは簡単には答えられない。値段を聞けば、むやみに自費を選ぶわけにもいかず、結局は何か悪いことをしたかのように、ついつい小声で「保険で結構です」となる。


 厚生労働省は、贅沢(ぜいたく)を望まないのならば、保険治療で全(すべ)て満足のいく治療が可能であるとしている。その言葉に間違いはないが、残念ながら、そこには時間の観念が全くない。つまり、十分な時間をかけて説明し、丹念にやればやるほど、歯科医に負担がのしかかってくる仕組みである。そこで、ついつい1時間に3〜4人の患者さんをみる羽目になる。これでやっと歯科医の生計が成り立つのだが、残念ながら患者さんの満足が得られない場合も多い。


 歯科治療は全て自費にしなさいなどと言うつもりは毛頭ないが、あまりに安い保険治療費と、あまりに高い自費治療のアンバランスが歯科医療を誤った方向に導いている気がしてならない。保険で全てをという理想論は分からなくはないが、このままでは、患者さんはもちろんのこと、歯科医も満足のいく治療ができないのでは。


 保険か自費かと問われれば、今のところ、自分の懐事情を考えてどちらかの治療法を選択しなさい、としか言いようもない。「松」と「梅」だけの日本の歯科治療に、選択しやすい「竹」もあるとよいのだが。


(東京クリニック丸の内オアゾmc歯科医長、次回は3月14日です)


15回目
娘さん 頬杖はいかんなあ

 春とはいえ、まだまだ寒さの残る昼下がりのカフェ。弱い日差しが、レースのカーテン越しに部屋を照らしている。テーブルのコーヒーを口に運ぶわけでもなく、遠い世界に思いをよせるかのごとく、少女が頬杖(ほおづえ)をついて窓の外を眺めている。2階からは、葉を落としたままのケヤキ並木越しに、引っ切り無しに行き交う車が見える。気だるい雰囲気に包まれたまま、時はゆっくりと流れて行く……。


 う〜ん、アンニュイだなあ、ボーッと眺めていた私だが、ふとわれに返り、「頬杖はいかんなあ」と気になり始めた。少女はかなり長い間、片方の手で頬杖をしたままなのである。教えてあげようかな、と思った。何か話しかけるきっかけはないだろうか? いやいや、見ず知らずのおじさんから話しかけられれば、驚くに違いない。驚くだけならよいが、変なおじさんとばかり、警察にでも突き出されたらかなわない。


 何が心配かというと、頬杖ばかりをついていると、顎(がく)関節症を引き起こしてしまうことがあるからである。顎関節症とは、上あごと下あごをつないでいる関節部分に起こる疾患で、あごを開いたり閉じたりするときに、雑音(その音の様子からクリック音とも呼ばれる)や痛みを生じ、そのために口が十分に開かないなどを主な症状とする。


 さらには、首筋の痛みや肩こり、腰痛などまで引き起こす。子供でも、大人でも年齢を問わず、性別も問わない。つまり誰でも起こる可能性がある。


 あごがまっすぐに開かない、歯ぎしりや噛(か)みしめが多い、詰め物や被(かぶ)せ物が合わないなどが原因で生じる。頬杖もそうだが、大きなあくび、寝違えなどが引き金となって起こることもある。こういった諸原因の結果、あごを動かす筋肉が異常に緊張してしまうのである。


 治療法は、他の疾患と同じように、まずは顎関節症を起こしていると思われる原因を除去する。筋肉の緊張を取り除くことから始める。マウスピースをはめたり、噛みあわせの状態を直したりする。鎮痛剤、消炎剤、筋弛緩(しかん)剤などの薬物療法、また冷湿布、温湿布、マッサージなどの理学療法も症状の緩和には効果的である。


 頬杖のように、原因がはっきりと分かるものはまだよい。確かに顎関節がおかしいとは言うものの、原因が全く分からず、治療の施しようのないものも時として見受けられる。こうなると、顎関節という局所的な問題だけではなく、心身医学的なことも考えなくてはならない。


 やはり、あの少女には頬杖はよくないことを伝えておこう。と思ったら、少女はいないではないか。それにここはカフェでもない。医局の窓辺でスタッフのひとりが、頬杖をついてうたた寝をしているだけだった。


 あれれっ! 夢を見ていたのかな?


(東京クリニック丸の内オアゾmc歯科医長、次回は28日です)

プロフィール
安田 登 やすだ・のぼる
1969年東京医科歯科大卒。パリ大学留学、第一生命日比谷診療所、東京医科歯科大臨床教授を経て東京クリニック丸の内オアゾmc歯科医長。

(2008年3月14日 読売新聞)