・安田理事長のエッセー「歯科医 つれづれ記」(読売新聞夕刊)の9回目が掲載されました

安田理事長のエッセー「歯科医 つれづれ記」(読売新聞夕刊)が掲載されました。
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【歯科医 つれづれ記】
インプラントと食への執着
 30年余り前、貧乏フランス留学生時代の話である。今でこそ、何年のボルドーワインは……とか、気取って愉(たの)しむこともあるが、その頃は生まれて初めて飲んだワインの味に酔いしれた。学生食堂ながら、オードブル、メイン、チーズにデザートのわずか百数十円のメニューは、貧乏学生には立派なフランス料理に見えた。もちろん、少しお金を足せばワインも飲める。さすがフランス、食の国よと思ったことを覚えている。


 当時、フランスの歯科における得意分野は、インプラントであった。歯が抜けた部分の骨に、金属製の人工歯根(しこん)をねじ込む方法である。入れ歯と違って取り外す必要もなく、またブリッジのように両隣の歯を削る必要もない。子供の時に生える乳歯、大人の歯である永久歯に続く、「第3の歯」とも呼ばれる。


 私はその歯科インプラントの父と呼ばれたC教授の元で勉強をしていた。まだインプラントの術式そのものに信頼性が低く、何年持つかが話題になっていた時代である。言うならば博打(ばくち)みたいなもので、成功するかしないかはあなた次第であった。


 私は手術中よく教授に、このインプラントはどれくらい持つのですかといっては叱(しか)られていた。「そんな質問、何の意味もない。患者さんが今、食事を楽しめるかどうかが大切なんだ」と。確かにフランスは食文化が発達した国である。食べられないのは死ぬことと同じ、との思いがあるらしい。日本人にとってはかなり大げさと思うけれど、狩猟・肉食民族と農耕・草食民族との違いかもしれない。歯が抜けて入れ歯になってしまえば、フランスのあの硬い肉は噛(か)み切れない(失礼!)。


 そういえば、ある患者さんのインプラントを使った総入れ歯が、実に2000万円もしたことを思い出した。現在、日本で同じものを作ろうとすると300万〜500万円程度であるが、いかに当時は希少で高価な術式であったかが分かる。同時にフランス人のあくなきまでの食に対する執着心にも感心した。その後、数年たってC教授が日本を訪れたが、私たちが豆腐を好んで食べるのを見て、日本でインプラントがはやらない理由がやっと分かったと言っていた。


 それから三十数年。インプラントを埋め込む技術も材料も、また学問もかなり進歩はしているが、相変わらず不確実な要素が強い術式の一つであることに間違いない。


 きちんとした設備のあるところで、きちんとした技術を持った先生にやってもらってはじめて、10年以上の成功例が得られるのである。皆さんには、詰め物や被(かぶ)せ物をしてもらうのとは、全く次元が異なることを、是非理解してもらいたい。


 食文化がインプラントを育て、インプラントが食文化を変えるのであろうか?


 (東京クリニック丸の内オアゾmc歯科医長、次回は来月14日)

プロフィール
安田 登 やすだ・のぼる
  1969年東京医科歯科大卒。パリ大学留学、第一生命日比谷診療所、東京医科歯科大臨床教授を経て東京クリニック丸の内オアゾmc歯科医長。

(2007年11月30日 読売新聞)