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徳川時代は300年続きましたが、最初の頃と江戸時代も末期になる頃の将軍様では口の中の状況が著しく異なっています。初代将軍家康、2代将軍秀忠の頃はまだ戦国時代の名残で、食べるものも硬く、粗末なものが多かったせいか、顎もしっかりとして、秀忠にはむし歯が1本もないことが知られています。
それに引き換え幕末になると、将軍家の食事は贅を極め、当時としては珍しい砂糖も薩摩の島津藩を通じて献上され、養生の品として使用されています。そうすると、考えられることはむし歯の発生です。1958年から1960年にかけて行われた増上寺徳川将軍家墓所の改装に伴う発掘調査記録(「骨は語る・徳川将軍・大名家の人々」鈴木
尚)によりますと、第14代将軍徳川家茂(1846−1866)は上下顎共にむし歯がとても多かったことが示されています。 21歳で夭折していることから考えるともともと体の方も弱かったのかも知れませんね。
しかし、むし歯が多いこともさることながら、時の最高権力者の地位にいた徳川将軍が1本の治療も行っていないことに驚かされます。19世紀の半ばといえばわずか150年ほど前にしか過ぎませんので、むし歯の治療はほんの最近まで行われていなかったのですね。
歯科の歴史を語るとき、起源はエジプト時代とされたり、紀元前の古人骨からむし歯の治療跡が発見されたなどの記事を認めることもありますが、将軍様の顎骨の状況を見るとにわかに信じることは出来ません。むしろ、宗教的な儀式の一環として、あるいは美しさを求めた結果として歯を傷つけ、穴をあけたとする考えの方が分かり易いですね。何しろ人間は美を求めることに対しては何でもしてしまいますからね。
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