・水鳥の入れ歯

さて何の話でしょう。日本には色々な水鳥がいます。彼らのくちばしが折れたらどうなるでしょう。水の中でお魚を捕まえて食べられますか。くちばしが閉まらないと、お魚は逃げてしまい、捕まえられませんね。こんな鳥には死が待っているのです。自然界でも水鳥のくちばしは折れる事故が多いのですが、動物園では飼われている環境がくちばしを折る事故を多発させています。一部の動物園ではくちばしを折った鳥たちに、餌をくちばしの奥に入れてあげて生かしていますが、介護するには人手がかかり、係りの人たちを悩ませています。人の世も同じですね。

私たちのところに動物園の獣医さんから、水鳥のくちばしを接着材で直して上げられませんかという問い合わせがありました。歯科用の接着材を研究してきた私たちにとっては、人の歯の接着材よりは簡単かと思ってお引き受けしました。実はいろんなことを水鳥のくちばしの修理(治療)から学びました。くちばしは軽くできているけれども、原則壊れない構造になっていて、簡単に工学技術の知識では人工のくちばしを作れないことを学びました。入れ歯の材料でくちばしを作ったのですが、重すぎて水鳥君の細い首にはかわいそうでした。もちろん黒いくちばしを作ってあげました。
水の中を泳いでいるお魚を捕まえるには、水がくちばしを閉めたときに抵抗無く抜けないと、お魚は逃げてしまいます。水鉄砲の原理で、くちばしの脇から水はぬける構造をとっています。入れ歯と同じぴったりとした構造では使い物にならないのです。しかし先端はお魚が逃げないように力が加わってもお魚を捕まえていなくてはなりません。変形しても困ります。

これが、くちばし破損の大きな原因です。そこで、私たちの持っている知識を動員して、ステンレスの細い線で補強された入れ歯(人工くちばし)を完成させました。補強するためにステンレスに接着できるように入れ歯に使うアクリル樹脂を改良したプラスチックを利用しました。これは今でも歯科の処置に使われています。

次に大失敗をしました。私たちの虎の子の研究成果である、歯に接着できる接着材で折れて残っているくちばしの根元部分に出来上がった人工くちばしをくっつけたのです。はじめは大成功でした。とこらが、事故がおきてしまいました。人工くちばしが、接着したくちばしの根元から折れてしまったのです。水鳥のくちばしは、自然界で生きていくためにとても上手くできているのです。それに引き換え人間のやる工学的技術は、自然界にとけこめるか疑問がたくさんあります。水鳥君は折れた部分から出血してとても可哀想でした。生体組織を必要以上に丈夫に改良すると、別のところに問題が生まれるのです。人工のくちばしを接着材で固定しようという発想を自然界は拒否したと解釈すべきなのでしょう。

私たちは人工材料(人工くちばし)と生体組織(くちばし)を接着で固定したことが問題であると考え、くちばしの残りの部分が短すぎることも考慮して、くちばしに人工くちばしをねじで機械的に保持する方法に転換しました。すなわちくちばしにある鼻くう(鼻の穴)を通して人工くちばしとくちばしの根元をねじで止めて、人工のくちばしで水鳥が元気に餌をついばみ、お魚を水中から捕まえて食べているところを確認できました。

くちばしを接着で再建し、機能させた世界記録であると当時は言われましたが、科学技術がいくら進歩しても、自然を大切にする心が人々に求められているということを教えてくれたお話です。
人間も入れ歯を口の中に固定するのに苦労しています。それよりはエナメル質を大切にして、一生入れ歯の世話にならず、自分の歯で生きていけるようにする生活態度が大切であることを、水鳥の折れたくちばしを例に挙げてお話をさせていただきました。入れ歯により人は不自由でも水鳥よりは楽に生活していますが、根本は自分の歯を失わずに一生を終えられるようにすることが、もっとも自然を大切にする生き方であることをお話してこの物語を終えたいと思います。