「どうしたらあなたの歯を守れるか」についてこれまでいろいろなことをお話ししてきました。今回は少し趣向を変えて、むし歯と歯科医学そのものの歴史についてお話ししようかと思います。歴史を振り返ることは決して後ろ向きと言うことではありません。「温故知新」という言葉が示すようにむし歯の歴史を知ることによってむし歯にならない方法を見いだせるかも知れないという期待があるからです。
御存知のように医学には長い歴史がありますが、一方で歯科の歴史というと実はそれほどではありません。近代歯科医学の鼻祖はピエールフォシャール(1678―1761)というフランスの外科医で、当時まだ歯科治療が大道芸の域を出なかった頃に歯科医術という新しい分野を開拓し学問として初めて体系付けた人です。その後、彼の残した業績がヨーロッパ各国でも評価され多大な影響を与えました。その後アメリカのメリーランド州のボルチモアに世界で初めての歯科医学校できたのは1840年、また1867年にはハーバード歯科医学校ができて総合大学の一学部となりました。むし歯に苦しむ人が世の中に蔓延し学問としての研究の対象にしなければならなくなったというわけです。日本でいうと近現代(明治〜現在)に当たり、まだ200年にも満たないのです。今でこそむし歯はだいぶ減少してきて昔のようにこの病気に悩む方も減ってきました。特に子供のむし歯はむし歯有病者率、DMFTで観ても、減少傾向にあり以前に比べればむし歯で苦しむ人は確実に少なくなってきたように思います。ではなぜこの当時、むし歯に悩む人が急に増え始めたのでしょうか?
我々の食生活には砂糖は欠かせないものと思わせないほど不可欠なものになりました。しかし、人類の食生活の中で砂糖が食品として登場するのは400年ほど前からといわれています。砂糖の原材料であるサトウキビはパプアニューギニアが原産といわれていますが、これがインドに伝わり、侵略、征服の歴史とともにイスラム、北アフリカ、ヨーロッパあたりまで栽培法が拡がっていったようです。しかしサトウキビの栽培は大規模経営が必要なこと、また重労働でもあることから、当時の砂糖は食品というよりも薬品、貴重品に属しており、庶民はやたらに口にすることはできなかったようです。ですから当時のむし歯は「贅沢病」ということになります。そしてコロンブスが西インド諸島を発見し大航海時代を迎えるに伴い「植民地(プランテーション)」と奴隷という「労働力」が確保され、砂糖の生産量は飛躍的に伸びていくわけです。生産は新たな消費を生み、それがまた生産を増やすという生産―消費サイクルができ、砂糖が富裕層の贅沢品から庶民の食生活の必需品と一転していきました。「砂糖は白いダイヤ、黒人奴隷は黒い黄金」という言葉からも砂糖の消費量が爆発的に伸びていったことが伺われます。いつの世でも人間の欲望とは際限のないものであり、その裏には不当な扱いに苦しむ人間がいるのです。イギリスでは一人あたりの砂糖消費量が1850年頃から爆発的に増加し始めます。それは「アフタヌーンティー」が大流行した時期と重なります。また繊細で高度な技術をもった菓子職人のいたフランスでも、ボンボン、砂糖漬けフルーツの取引が急増してヨーロッパではむし歯が猖獗を極める時代へと突入するのです。あの有名なマロングラッセもこのころのできたお菓子でしょう。
こうしてむし歯の歴史を見てくると、むし歯は生活食習慣がもたらした人災なのかも知れません。食べることは生きていく上で欠くことのできない行為であるとともに、人間の本能でもあります。またおいしく食べたいというのも人間として偽らざる気持ちだと思います。であればやはり歯磨きはむし歯にならないで食を楽しむ最も賢明な方法だと考えますがいかがでしょうか?
鏡で自分の口の中をじっくり見てみて見ましょう。歯の溝、歯茎との境目あるいは隣の歯との間に「黒い」ものはありませんか?見つかった人は気をつけて下さい。それはむし歯かも知れません。むし歯は決して治ることがありませんし、放置しておけば七転八倒の痛みが待っています。「黒い色」「痛み」「不治の病」、これはひょっとすると遠い昔、富と食の快楽を求め過ぎた一部の人間達の陰で苦しんでいった「黒人の恨み」なのかもしれません。
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